「緒方という庄屋の家の娘のところに毎晩、男が通ってくる。娘の親が不思議がって、針に麻糸をつけて、着物の裾につけておく。翌朝たどって行くと池の中に。男の正体は、蛇の主。娘は蛇にとられて死んでしまう。娘の葬式の日、雨が降っていたが、蛇のみという傘をさすとやむ。それ以来この庄屋の子孫の背中には鱗が三枚ついている」(関敬吾『日本昔話大成 2』角川書店、昭和53、23頁)。
愛媛編Dで紹介した、吉波の庄屋と関係あるのだろうか、次の伝承は、吉波のすぐ近くにある現宇和島市、旧三間町兼近の伝承である。
「おがたに、そこに嬢様がございましてな、おがたいうたら昔から大きな家ですから、嬢様がおりましたところがその嬢様に好きな男の人ができましてな。それがその内方の人は知らんのでございますが、毎晩なんやそうです。おそうに、袴をつけたりしてりっぱな人が来るんですと。その人とその嬢様と心安うなって、そして何やそうです、来よりましたところが、今晩お腹がふとりましてな。そして生んでみましたらなあし、いよいよもう、蛙があのおもしろいものを、こうこう、蛙、子うこしらえる、おもしろい、ぬるぬるしたものがありますが、そうおたまじゃくし、あれがかえる前に。そういうものがたらいいうものにいっぱいできまして、子じゃあありませんじゃと。そしてその嬢様が難産でなあし、死にました。よく調べてみましたらおがたいう大きい家ですけに、そこに大きい淵を、池を掘ってありまして、そこに住んどる主じゃったといいましてな。そしてよく調べてみたらこの池の主じゃったと。そしてそれが禍をなあし、やっぱりするんでしょう。そしてまあその淵へ正月の元旦という朝は、雑煮を炊いて、おもちを大きいお釜にいっぱい煮いて淵に投げこんでそれで因縁をなあ、しとかれたそうないうことです。昔から伝えられています。昔話ですが」(稲田浩二・小澤俊夫編『日本昔話通観22(愛媛・高知)』、同朋社、1979、27頁)。
私は、吉波の地元の人に、このあたりで緒方という庄屋さんはありましたか、と聞くと、それは野村町だと言われました。そこで今度は現西予市、旧野村町に行ってみました。すると次のような伝承に出会いました。
「昔々、野村と言う所にな、それはそれは情深い御庄屋様
さて、最初と二番目の伝承は、はっきりと「緒方家」と言っていますが、最後の伝承は、庄屋としか伝えていません。話型は、最初と最後の伝承が、苧環型で子供出世型と思われます。最後の伝承ははっきりとその後、家が繁栄したとありますから、生まれた子供が出世したことを示しているのでしょう。最初の伝承は、娘は死んでしまったようですが、子孫は鱗が三枚あると伝えていますので、やはり、子供が生まれ、少なくとも何代かは続いているのでしょう。二番目の伝承は、苧環型が語られず、たらい子型となっています。ですが、緒方という大きな家の話です。
愛媛編@でも土佐窪川城の娘の話を紹介しましたが、それはどうも伊予の河野氏であるとも書きました。で、その河野氏は豊後の緒方家とも関係があると言いました。群馬編や新潟編でも紹介しましたが、この緒方家とは、『平家物語』に出てくる緒方三郎のことだと思います。緒方三郎にも鱗が三枚あり、そこでも苧環型が語られ、出世します。
そこで、旧野村町にある図書館で、野村町の緒方家の
この緒方惟義は豊後に九世紀に移り住んだと言われています。そして16世紀に宇和島にやってきて、野村に定着するわけです。その時に、はやりこの地域開拓の神話を持ち込んだのでしょう。新しい土地に定着するとき、この神話を使うのは、三輪の大王家も同じだったと思います。
現在の緒方家も大きな家(写真)で、川との間に龍王神社があります(地図)。その前にある渕が宮ん渕なのでしょうか(写真)。地元の人達はもうそのことは知らないようでした。(文・地図・写真:佐々木高弘)

